鎌倉時代700年の歴史。
目の温泉として伝わる神秘の源泉。
その昔、巡礼の白雲禅師により開湯されたと言われ、
戦国時代は上杉謙信公将兵の隠れ湯として、
江戸時代からは『目の温泉』として遠路より数多き人々が訪れる。
文献上では室町時代・長享2年(1488年)京都相国寺の僧の萬里集九の旅文集[梅花無尽蔵]にて「岩の割れ目から湧き出る温泉への道は通じているといえども建物は見えず僅かに道行く人が教えてくれなかったら通り過ぎてしまうところでした」と記した。 戦国時代は上杉謙信が関東攻略の際、将兵の英気を養い、傷を癒すために貝掛に浸からせたと言い伝わっている。当時の三国街道(急坂を上ってすぐの小道・既存)を通る詩人・商人・僧侶などが立寄り、貝掛の湯の効能を伝え聞いた湯治客が増え信仰にもなり、薬師如来や石灯籠も建てられた。
江戸時代(1806年)の[地志書上帳]三俣宿の庄屋安左衛門手記にて「貝掛に温泉ありて、この湯少し塩味ありて清し、寒中はぬるくして入り難く。目を患う者多く来りて浴し候」と記した。
明治時代(1882年)に貝掛の湯守 与之助六代目の茂木与平治が[快眼水]の名で内務省の製造販売許可を得て目薬を発売した。
昭和時代(1934年)10年の大洪水で一旦廃業したが昭和30年9月に眼底出血を患った先代が地元の貝掛を思い出し紙問屋商売の傍ら、この地に帰り貝掛を復興させた。 33年にも洪水頻発するも苦難乗越え42年に念願の貝掛橋とダムが完成し、50年に{日本秘湯を守る会}発足会員となり58年の上越新幹線開通と60年の関越自動車道開通で都心から近い秘湯となった。
◆ 今も貝掛の安全を急坂入口(貝掛坂)で地蔵尊が合掌されています。
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